( 8 )もうひとつの裁判についての私見

アートネイチャー株主代表訴訟は、平成15年11月の自己株式処分と平成16年3月の新株発行についてのものだけではなく、平成18年3月の新株発行についても別の裁判で争われました(東京地裁平成24年(ワ)第36441号(平成26年6月26日判決)および東京高裁平成26年(ネ)第4044号 (平成26年11月26日判決))。

この抗告審判決によれば、非上場会社における新株発行の公正な価額の算定については、当該新株発行の発行価額の算定が専門家による株式価値算定書に基づいていた場合、その算定の方法および結果に不合理な点がないときは、当該株式価値算定書に記載された株式価値の金額が公正な価額となるというものです。

この算定方法や算定結果については裁判でも争いがありましたが、別の視点から私見をまとめてみました。

目次

株式価値の算定方法の選択の妥当性についての私見

AN社がストック・オプション発行のために株式価値の評価を依頼したFによる算定方法は、いわゆる国税庁方式といえます。

実際、裁判で被告(AN社側)は「本件算定書が採用した純資産価額法は、市場価格のない株式の価値算定の実務において広く使用されている一般的な評価方法であって、時価純資産価額法は税務において取引相場のない株式の評価のための原則的な手法である。税務における株式価値評価は納税額の確定を目的とするものであるが、税務においても担税力に応じた公平な課税のために、一定時点における株式の公正な時価(相続税法22条)または価額(所得税法59条1項)の評価が求められる点で、新株発行において株式の公正な価額の評価が求められるのと本質的な違いはないのであるから、新株発行の発行価額の決定の際に、税務において用いられる評価方法と同じものを用いることは可能である。」と主張しています。

さて、原告株主は、インカム・アプローチによる株価算定が妥当であると主張し、対する被告は、専門家がネットアセット・アプローチによって株価算定しているのだからそれが妥当だという趣旨の主張をしていると思われます。

判決は、インカム・アプローチによる株価算定のデメリットのみを説いています。しかし、これでは、インカム・アプローチによる株価算定は不確実性や見積りの困難さがあるため認められないような印象を受けます。

インカム・アプローチによる株価算定のデメリットを説くだけではなく、せっかく原告がインカム・アプローチによる株価算定を行っているわけですから、その算定過程等について具体的に検討し、批判することが必要だったのではと思われます。

また、判決によれば「本件算定書においては営業権が評価されており(超過収益力が全く評価されていないわけではない)」とありますが、これは超過収益力を評価しようというFの積極的な方針ではなく、もっぱら税法のルールにのっとっていたにすぎないと思われます。

非上場株式の算定方法として、不確実性を排して客観性の高いネットアセット・アプローチによる評価額を採用したとしても、判決では不明ですが、少なくとも算定書には次の部分のコメントが必要と思われます。

  • なぜインカム・アプローチによる評価額はまったく採用しない(ネットアセット・アプローチによる評価額との折衷もしない)のか
  • なぜネットアセット・アプローチのうちいわゆる「国税庁方式」(実際にこれに忠実かどうかは後述)を採用したのか

株式価値の算定では、いわゆる「国税庁方式」による評価は妥当でないという下級審判例もあります。判決ではFによる本件算定書の内容が比較的詳細に記載されていますが、少なくとも判決文からは、Fまたは裁判所でこの点に触れたと思われる記載がありません。

「専門家が選択したから不合理でない」という消極的なものではなく、なぜこの事案では「国税庁方式」が妥当なのかという積極的な見解があってもよかったと思われます。

背景推測

ところで、株価算定をインカム・アプローチによって行おうとすると、右肩上がりの業績を予測すればするほど大きな株価が算定される傾向にあります。とくに、AN社は上場を視野に入れていたため、それなりに右肩上がりの業績予測があったと思われます。このような右肩上がりの業績予測をベースにしてインカム・アプローチによる株価算定を行えば、含み損のある不動産を多く保有していたAN社では、時価純資産価額よりも(かなり)高い株価が算定された可能性は少なくないと思われます。

他方、ストック・オプションを保有する役員等にとっては、権利行使価額が低ければ低いほど、上場後の株価が権利行使価額を上回ってストック・オプションを行使する可能性が高まり、しかも、株式売却時のキャピタルゲインは大きいものとなります。このため、権利行使価額を決定するストック・オプション契約締結時の株価はなるべく低い方が望ましいことになります。

もし、インカム・アプローチによって高い株価が算定されてしまうと、税法適格要件を満たすにはこれを上回る権利行使価額としなければならず、それだけストック・オプションを行使する可能性は低くなります。

その一方で、ストック・オプションが税法適格要件を満たすためには、税法上の時価で株式を評価するのが税務上は無難という側面もあります。

このあたりが、インカム・アプローチによる評価額をまったく反映させず、税法上の時価で評価することとなったひとつの背景・・・かもしれません。

新株発行のための株式価値の算定方法との関係についての私見

さて、税法適格ストック・オプションのための株価算定ならば「国税庁方式」によって行えても、上場を目前にしつつある会社の新株発行となると事情は異なると思われます。

AN社は、株式分割、新株発行のほかにストック・オプション発行の3つを同時に決定しています。

これらは上場後の支配権維持などの資本政策の一環ですが、実態はストック・オプションを付与しようとしていた候補者が税制適格を受けられない(税制非適格)ために、ストック・オプションではなく新株を発行し第三者割当で割当てたというものです。

もし、税制適格ストック・オプションは発行せず、新株発行だけを行おうとした場合、上場が視野に入りつつある段階で、ネットアセット・アプローチ、しかも、国税庁方式による評価額のみをもって株式価値とするというのは、若干疑問がないとはいえません。

なぜなら、平成15年11月の自己株式処分に際して、当時AN社が株価算定を依頼したAは、配当還元法以外のインカム・アプローチ(収益還元法やDCF法など)を採用しなかった理由として、「算定当時、株価算定の基礎資料となる事業計画が存在しなかったこと」「当時の経営状況は売上高も減少傾向にあって経費の大幅削減を含む緊急対策を実施しなければならない状況で継続企業の前提に疑義があったこと」を挙げています。そして、ネットアセット・アプローチの時価純資産法(修正簿価純資産法)により評価したものの大幅なマイナスとなり、配当還元法により株式価値を算定しています。そしてこの株価は約4ヶ月後の新株発行の発行価額でも採用されています。

このような状況は、少なくとも平成18年1月の段階ではなかったと思われます。

このため、新株発行について、まったくインカム・アプローチによる評価は採用せずに、ネットアセット・アプローチのみ、しかも、国税庁方式による評価額のみをもって株式価値とするというのは、疑問を持たれる余地があると思われます。

実際の裁判でもこの点は争いになっていますが、原告株主が判決文のように「第三者割当については株価算定を行っていない」という単純な批判ではなく、過去の自己株式処分および新株発行のときの株価算定の方針との違いや、上場を視野にしている会社がインカム・アプローチによる評価をあえて適用しない積極的な根拠などを衝いていたとしたらどうなっただろうという気はしないでもありません(実際はそうしていたかもしれませんが)。

なお、Fは、このあたりのリスクを踏まえて、算定の目的として「本件算定書は、AN社が、将来の株式公開に向けてストック・オプションを発行する際の判断における参考資料として株主価値を評価したものであり、他の目的に資するものではない」としたと考えられます。

法人税法上の時価についての私見

非上場会社の株式価値の評価を「国税庁方式」で行う場合、財産評価基本通達による「取引相場のない株式」の評価方法によることが一般的です。

もっとも、財産評価基本通達による評価方法は、個人が取引相場のない株式を相続・贈与により取得した場合のものであり、法人には必ずしも妥当しないことになります。

法人税法上で非上場株式(取引相場のない株式)の評価について正面から規定したものはありませんが、実務上は法人税基本通達9-1-14によっています。

判決によれば、AN社は新株発行前後の持株状況からすると「中心的な同族株主」がいる会社といえます。よって、財産評価基本通達による方法を若干修正して計算することになります。

具体的には、評価上は「小会社」として評価すること、土地等や有価証券は評価時点の時価によること、簿価と時価との評価差額(評価益)に対する法人税等相当額の控除はしないことの3点です。

しかし、判決文からのみ読むと、やや違いがあります。

「小会社」の評価

財産評価基本通達では、評価対象会社を総資産価額や従業員数または取引金額(売上高)によって大会社中会社および小会社の3つに区分します。この区分により、株式評価額の算定にあたって類似業種比準方式による価額(類似業種比準価額)と純資産価額方式による価額(純資産価額)の折衷割合が区分されています。小会社の場合、純資産価額で評価するのが原則ですが、類似業種比準価額と純資産価額は50%ずつ折衷(つまり1:1)とした価額とすることもできます。

判決には、Fの算定方法および結果についてある程度詳細に記載されていますが、類似業種比準価額についての記述は一切ありません。

また、判決によれば、算定書に参考として相続税評価額に基づく純資産価額法による評価額は6,993円、配当還元法による評価額は1,250円と記載されています。しかし、この算定の目的がストック・オプション発行のためであり、その目的で税法に従った評価をすると、それはいわゆる法人税法上の時価(法人税基本通達9-1-14)であり、「相続税評価額に基づく純資産価額法による評価額」(土地は通常の取引価額ではなく本来の路線価で評価したりする一般的な相続・贈与の際の評価額と思われます。)にせよ、配当還元法による評価額にせよ、まさに参考にとどまると思われます。

むしろ、参考としては類似業種比準価額はいくらだったかを記載し、純資産価額と折衷した評価額では、純資産価額のみの価額を上回ってしまうため、純資産価額のみをもって評価額としたという記述があってもよいのかなという印象を受けました。

一部遊休土地と建物の評価

判決文によれば、Fは「遊休土地は、帳簿価額により評価した」「建物について固定資産税評価額が不明であり帳簿価額を評価額とした」とあります。

まず、遊休土地については、税法のルールに従って評価しているのならば、その所在を把握できる以上は路線価方式または倍率方式により評価が可能であったと思われます。なお、Fの報告書は平成17年3月31日の資産負債をベースにしており、評価時点である平成18年1月17日までに売却した遊休土地については実際売却額で評価しています。この点について、これら遊休土地が課税時期(評価時点)前3年間に取得したものであり、帳簿価額が通常の取引価額に相当すると認められる場合には帳簿価額をもって評価額とすることができますが、そうでない場合には、帳簿価額で評価というのはやや疑問が残ります。たしかに、帳簿価額をもって評価額としたのは25百万円ほどですが、少なくとも税務には重要性の原則なるもの、すなわち「金額的に重要性が低いため簿価評価でいい」というものはないと思われます。

建物(家屋)については、たしかに評価時点は平成18年1月17日であり、平成18年が評価替えの年であることから平成18年1月1日を基準とした固定資産税評価額は平成18年5月以降でなければ判明しません。しかし、平成17年1月1日に所有している家屋については市町村や都税事務所等から課税明細が送付されているはずであり、そこで平成17年分の固定資産税評価額は入手できるはずであり、不明だとして帳簿価額を評価額としたのはやや疑問が残ります。

評価時点は平成18年1月17日なのに平成17年3月31日の資産負債を基準とした点についての私見

Fによる算定は、評価時点を平成18年1月17日としています。たしかに有価証券の時価評価については評価時点の価額によっています。しかし、その基礎となる資産および負債は平成17年3月31日のものです。

ところが、その基礎となる資産および負債は平成17年3月31日のものです。

ここで、「相続税及び贈与税における取引相場のない株式等の評価明細書の様式及び記載方法等について」(直評23、直資2-293、平成2年12月27日、最終改正平成27課評2-7外)の「第5表 1株当たりの純資産価額(相続税評価額)の計算明細書」の記載方法は次のとおりです。

「1. 資産及び負債の金額(課税時期現在)」の各欄は、課税時期における評価会社の各資産及び各負債について、次により記載します。

  • (1)「資産の部」の「相続税評価額」欄には、課税時期における評価会社の各資産について、財産評価基本通達の定めにより評価した価額(以下「相続税評価額」といいます。)を次により記載します。(略)
  • (2)「資産の部」の「帳簿価額」欄には、「資産の部」の「相続税評価額」欄に評価額が記載された各資産についての課税時期における税務計算上の帳簿価額を記載します。(略)
  • (3)「負債の部」の「相続税評価額」欄には、評価会社の課税時期における各負債の金額を、「帳簿価額」欄には、「負債の部」の「相続税評価額」欄に評価額が記載された各負債の税務計算上の帳簿価額をそれぞれ記載します。(略)
    なお、次の金額は、帳簿に負債としての記載がない場合であっても、課税時期において未払いとなっているものは負債として「相続税評価額」欄及び「帳簿価額」欄のいずれにも記載します。
  • イ 未納公租公課、未払利息等の金額
    ロ 課税時期以前に賦課期日のあった固定資産税及び都市計画税の税額
    ハ 被相続人の死亡により、相続人その他の者に支給することが確定した退職手当金、功労金その他これらに準ずる給与の金額(ただし、経過措置適用後の退職給与引当金の取崩しにより支給されるものは除きます。)
    ニ 課税時期の属する事業年度に係る法人税額(地方法人税額を含みます。)、消費税額(地方消費税額を含みます。)、事業税額(地方法人特別税額を含みます。)、道府県民税額及び市町村民税額のうち、その事業年度開始の日から課税時期までの期間に対応する金額
  • (4)1株当たりの純資産価額(相続税評価額)の計算は、上記(1)から(3)の説明のとおり課税時期における各資産及び各負債の金額によることとしていますが、評価会社が課税時期において仮決算を行っていないため、課税時期における資産及び負債の金額が明確でない場合において、直前期末から課税時期までの間に資産及び負債について著しく増減がないため評価額の計算に影響が少ないと認められるときは、課税時期における各資産及び各負債の金額は、次により計算しても差し支えありません。(略)
  • イ「相続税評価額」欄については、直前期末の資産及び負債の課税時期の相続税評価額
    ロ「帳簿価額」欄については、直前期末の資産及び負債の帳簿価額

つまり、直前期末の資産負債を用いることができるのは、「評価会社が課税時期において仮決算を行っていないため、課税時期における資産及び負債の金額が明確でない場合において、直前期末から課税時期までの間に資産及び負債について著しく増減がないため評価額の計算に影響が少ないと認められるとき」です。

実際に裁判でも原告株主は、「平成18年3月31日の経営状況が平成17年3月31日と比較して大幅に改善されていたところ、平成18年1月17日を評価基準とする株式価値の算定については平成17年12月31日または少なくとも平成17年9月30日の財務諸表および固定資産の明細書を基に行われるべきであったため、本件算定書は著しく妥当性を欠くものである。」と主張していますが、この規定を基にして主張したのかどうかは明らかではありません。

これに対して判決は、「平成17年9月30日または平成17年12月31日におけるAN社の経営状況について、監査法人の監査を受けた財務諸表等が存在していたことを認めるに足りる証拠はなく、平成17年3月31日時点の財務諸表及び固定資産の明細書を基礎資料とした本件算定書の算定方法および算定結果が不合理であるとはいえない。」としています。

しかしこの判決では、監査法人の監査を受けた財務諸表等が存在していなければ仮決算による数値を用いるという原則的な方法はほとんどの会社で不可能になります。そもそもわが国において、会計監査人が存在する株式会社は圧倒的少数であることを踏まえると、およそほとんどの会社は直前期末の数値を用いなければならないことになります。

少なくともAN社は上場に備えてそれなりの月次決算体制が整いつつあったと考えられます。評価時点が平成18年1月17日で提出が2月1日だったことからすると、平成17年12月の月次貸借対照表を用いることは不可能ではなかったと思われます。

そして、実際の争いは不明ですが、判決文で「直前期末から課税時期までの間に資産及び負債について著しく増減がないため評価額の計算に影響が少ない」という検討がなされていない点に疑問が残ります。

原告株主側が、あくまで仮決算が原則であり、直前期末の資産負債の評価が容認されるのは、直前期末(平成17年3月31日)から課税時期(評価時点である平成18年1月17日)まで資産負債について著しく増減がなく評価額の計算に影響が少ないときであることを主張し、平成17年12月31日の月次貸借対照表によってFと同じ算定を行い、評価額の計算に影響が少ないのかどうかの具体的な判断を裁判所に求める必要があったのかもしれません。

いっぽう、Fも算定書において、仮決算による評価を行なわなかった事情(資産負債に著しく増減がなく評価額の計算に影響が少ないこと)を積極的に示していれば、原告株主からの追及を未然に防げた可能性はあります。

背景推測

ところで、純資産価額を仮決算(たとえば平成17年12月月次決算で平成17年12月31日の資産負債)によって行おうとすると、平成18年3月期の業績が好調ならば、平成17年3月31日の資産負債によった場合よりも株価が大きく算定されたといえます。

他方、ストック・オプションを保有する役員等にとっては、権利行使価額が低ければ低いほど、上場後の株価が権利行使価額を上回ってストック・オプションを行使する可能性が高まり、しかも、株式売却時のキャピタルゲインは大きいものとなります。このため、権利行使価額を決定するストック・オプション契約締結時の株価はなるべく低い方が望ましいことになります。

もし、高い株価が算定されてしまうと、税法適格要件を満たすにはこれを上回る権利行使価額としなければならず、それだけストック・オプションを行使する可能性は低くなります。

このあたりが、直前期末の資産負債で評価することとなったひとつの背景なのかもしれません。

しかし、これは先ほどのインカム・アプローチによる評価額の採用とは別次元であり、ルール上の話です。やはり、仮決算を行わなかった理由をキチンと算定書に盛り込む必要があったと思います。

( おわり )