( 10 )「賃率変動問題」への対応策

複数の業務を行う従業員等の労働時間が大きく増減したにもかかわらず、給料は裁量労働制などによりそれほど変わらない場合、月間の労働時間の多寡や複数の業務の業務時間の比率によって、パフォーマンスが一定なのに月によって各業務の労務費が異なることになります。

そこで、「事前の雇用契約等から算定される本来適用すべき賃率」を用い、さらに、それが現実に支給されるかどうかにかかわらず、実際に従事した労働時間を乗じて各業務の労務費発生額を算定する考え方がでてきます。

「賃率変動問題」とは

一般的な労務費原価計算の場合、一定の期間における従業員の総労働時間における労務費(給料等)を、各業務等に要した時間の比率で割り振ります。

とりわけ、ソフトウェア開発業の会計では、会計上の目的から業務内容を細かく分け、業務により資産計上したするため損益に著しく影響を及ぼします。

しかし、管理監督者や裁量労働制の適用を受ける従業員の場合は、労働時間そのものが大きく増加(減少)しても、労務費(給料等)はそれほど変わらないことになります。

すると、労務費(分子)はあまり変わらないのに総労働時間(分母)が大きく増える(減る)ことから、計算上「労働時間が多かった月は時給が安い」「労働時間が少なかった月は時給が高い」ことになり、個々の業務等に配分される労務費が小さく(大きく)なります。

本来ならば時給が一定の従業員が行っている作業も、その月の総労働時間によって時給(賃率)が変動してしまうのです。

これが「賃率変動問題」です。

本来ならば時給が一定の従業員が行っている作業も、その月の労働時間によって賃率(時給)が変動してしまうのです。

具体例

例えば、裁量労働制が適用されている従業員は月給500,000円(固定部分の残業代込み)で協定で決めた労働時間は1日10時間で月200時間とします。

ケース1

ある月の実際の給料は500,000円、労働時間も200時間で、A業務に150時間、B業務に50時間だったとします。

すると、給料500,000円は、A業務には375,000円(=500,000円×150時間/200時間)、B業務には125,000円(=500,000円×50時間/200時間)に配分されます。

ケース2

実際の労働時間は250時間で、A業務に150時間、B業務に100時間だったとします。裁量労働制により給料の額は増加していないとします。

すると、給料500,000円は、A業務には300,000円(=500,000円×150時間/250時間)、B業務には200,000円(=500,000円×50時間/250時間)に配分されます。

しかし、これでは、A業務の質・内容が同じだとしても、B業務の時間によって賃率が変化し配分される労務費が減ることになります。

ケース3

実際の労働時間は160時間で、A業務に150時間、B業務に10時間だったとします。裁量労働制により給料の額は増加していないとします。

すると、給料500,000円は、A業務には468,750円(=500,000円×150時間/160時間)、B業務には31,250円(=500,000円×10時間/160時間)に配分されます。

やはり、A業務の質・内容が同じだとしても、B業務の時間によって賃率が変化し配分される労務費が増えることになります。

問題点とその解決策の検討

問題点は、複数の業務を行う従業員等の労働時間が大きく増減したにもかかわらず、給料は裁量労働制などによりそれほど変わらない場合、月間の労働時間の多寡や複数の業務の業務時間の比率によって、従業員のパフォーマンスが一定なのに月によって各業務の労務費が異なることです。

従業員単位で原価計算を行おうとするとより顕在化する問題といえます。

この点、「そこは標準原価や予定原価で対応するんでしょ」という批判が考えられます。

しかし、標準原価とは原価目標のようなもので、一定期間常に一定の作業を続けるような製造業の労働者とは異なり、常に経営方針が変動し日々の業務内容も変わるような状況ではあまり妥当しないと考えられます。

何より、標準原価や予定原価という議論が、せいぜい財務会計や管理会計といったレベルの議論であり、会計という枠を超え「そもそもこの業務にはいくらかかっていたのか」「潜在的にいくら労務費が発生していたのか」そして「裁量労働制によりどれだけの影響が出ているのか」というところで捉えるべきものといえます。

そこで、「事前の雇用契約等から算定される本来適用すべき賃率」を用い、さらに、それが現実に支給されるかどうかにかかわらず、実際に従事した労働時間を乗じて各業務の労務費発生額を算定する考え方がでてきます。

「事前の雇用契約等から算定される本来適用すべき賃率」の算定

では、「事前の雇用契約等から算定される本来適用すべき賃率」はどのように算定すべきでしょうか。

賃率は、労務費を労働時間で除することで算定されます。

賃率算定の基礎となる労務費

これについては、残業手当を算定する場合のベースとなる「基礎賃金」が一定の参考になります。

基礎賃金には固定的な部分となりますが、基本給のみならず役職手当、地域手当、資格手当などが含まれ、一方で、個々の従業員等の状況によって異なる通勤手当、家族手当、住宅手当、別居手当、子女教育手当は除かれます。

ただし、原価計算の目的は残業代計算ではありません。労務費を各業務にいかに合理的に配分するかというものです。

とすると、残業代計算の基礎となる基礎賃金よりもさらに広く解し、家族手当や住宅手当等も含めた額にするのが妥当と考えられます。

賃率算定の基礎となる労働時間

労働時間については、就業規則や労働協定で締結された所定労働時間を用いるべきです。

なお、裁量労働制などであらかじめ決めている残業時間について含めるか含めないかについては個々の実情によって対応が異なるといえます。ただし、分子(労務費)では固定部分の残業代を含めながら、分母(労働時間)には決められた残業時間相当額を含めないというのは妥当ではないといえます。

STEP1・・・あらかじめ残業手当等が現実に発生した業務等に労務費を割り当てておく

裁量労働制の従業員でも残業手当は発生しますし、管理監督者でも深夜の割増賃金は発生します。 毎月給料が必ず定額というわけではありません。

そこで、残業手当や休日手当など、通常以上の給料が支給されるときに行っている業務に対して労務費を割り当てます。

タイムシートや日報により、残業手当が発生したときに行っていた業務は比較的容易に特定できると思われます。

STEP2・・・「適用すべき賃率」に実際の労働時間を乗じて各業務の労務費発生額とする

上記と同じ例を用いれば、裁量労働制が適用されている従業員は月給500,000円(固定部分の残業代込み)で協定で決めた労働時間は1日10時間で月200時間とします。

「適用すべき賃率」は2,500円(=500,000円/200時間)となります。

ケース1

ある月の実際の給料は500,000円、実際の労働時間も200時間で、A業務に150時間、B業務に50時間だったとします。

適用すべき賃率2,500円に各業務の実際の労働時間を乗じて労務費とすると、A業務には375,000円(=2,500円×150時間)、B業務には125,000円(=2,500円×50時間)となります。合計500,000円です。

この場合、実際の支給額500,000円と算定された労務費発生額500,000円は一致します(実際額=発生額)。

ケース2

ある月の実際の給料は500,000円、実際の労働時間は250時間で、A業務に150時間、B業務に100時間だったとします。裁量労働制により給料の額は増加していないとします。

適用すべき賃率2,500円に各業務の実際の労働時間を乗じて労務費とすると、A業務には375,000円(=2,500円×150時間)、B業務には250,000円(=2,500円×100時間)となります。合計625,000円です。

この場合、実際の支給額500,000円と算定された労務費発生額625,000円には差額125,000円が生じます(実際額<発生額)。

ケース3

実際の労働時間は160時間で、A業務に150時間、B業務に10時間だったとします。裁量労働制により給料の額は増加していないとします。

適用すべき賃率2,500円に各業務の実際の労働時間を乗じて労務費とすると、A業務には375,000円(=2,500円×150時間)、B業務には25,000円(=2,500円×10時間)となります。合計400,000円です。

すると、実際の支給額500,000円と算定された労務費発生額400,000円には差額100,000円が生じます(実際額>発生額)。

差額の持つ意味

上記のケース2とケース3では、従業員に実際に支給された給料の額と適用すべき賃率によって算定された労務費発生額とに差が生じています。

この差額の持つ意味は何でしょうか。

実際額<発生額(ケース2)の場合

ケース2では、適用すべき賃率によって算定された労務費発生額が従業員に実際に支給された給料の額を上回った、すなわち、裁量労働制によって合法的に支払われなくて済んだ額を意味します。

  • 本来このくらいの賃率(価値)のある従業員がこれだけの時間働いたわけだから、労務費そのものは発生している。
  • しかしながら、裁量労働制により実際の支払いはしなくてよい。
  • その点で、いわゆる「有利差異」が発生している。

合法的に支払われずに済んだという点で、いわゆる違法なサービス残業などとは異なります。

実際額>発生額(ケース3)の場合

ケース3では、従業員に実際に支給された給料の額が適用すべき賃率によって算定された労務費発生額を上回った、すなわち、裁量労働制のために過大に支払われた額を意味します。

  • 本来このくらいの賃率(価値)のある従業員がこれだけの時間しか働いていないわけだから、労務費の発生はそれに見合う分だけのはずである。
  • しかしながら、裁量労働制により実際の支払いのほうが多くなっている。
  • その点で、いわゆる「不利差異」が発生している。

「差異」の会計上の対応

上記のような処理を会計上反映させようとする場合にはどうすべきでしょうか。

つまり、労務費は、実際に支払われた額ではなく、実際の労働時間に基づく発生額をベースにすることになります。

この場合、各従業員単位で「実際の支給額に基づく賃率によって計算された労務費」と「本来適用すべき賃率によって計算された労務費」が算定され、各従業員単位で、それぞれの業務について差額(有利差異もしくは不利差異)が発生しうることになります。

簿記的にいえば、労務費発生額は「借方」、実際支給額は「貸方」の問題となるところ、労務費を実際支給額にしていないと貸借が一致しないことになります。

そこで、労務費発生額(借方)が大きいということは、労働時間は多かったが管理監督者や裁量労働制により実際支給額は少なかったことを意味し、会社は利益を得た(有利差異)という処理(貸方)によって貸借が一致します。

逆に、実際支給額(貸方)が大きいということは、労働時間は少なくても管理監督者や裁量労働制により支給額は同じだったことを意味し、会社には損失が発生した(不利差異)という処理(借方)によって貸借が一致します。

差異の処理(1)

差異の処理として、「差異が出た従業員等の各業務の労務費に配賦する」という方法があります。しかし、これでは実際支給額で配分する方法とまったく同じ結果となります。

差異の処理(2)

まず、前提として、いわゆる原価差異の処理としては、「売上原価(発生した期間の費用になる)」とするか、「売上原価」と「棚卸資産(翌期以降の費用になる)」に按分するという方法が一般的です。

ソフトウェア開発業では、「売上原価」「棚卸資産」に加え、「研究開発費」「ソフトウェア仮勘定」「(ソフトウェア仮勘定からの振替を通じての)ソフトウェア償却費」に分かれます。

そこで、有利差異や不利差異の調整を個々の従業員単位で行うのではなく、業務ごとの対象従業員の差額を合計したうえで、差額の多寡や、業務の重要性を勘案したうえでどう配賦すべきか検討するという方法も考えられます。つまり、差額を棚卸資産やソフトウェア仮勘定に配布して翌期以降に繰り越すか否かという判断です。

もちろん、この方法も、「本来行っていない業務にコストが混入する」という批判があります。

「サービス残業」などの問題

さらに、コンプライアンス上避けられないのは、本来ならば時間外手当や休日手当等が発生するはずなのに、実際の支給がない「サービス残業」「サービス出勤」の問題です。

これらは、ルールに反しているという点と、実際に支給がされないという点で、上記の「時給変動問題」とはまた別の問題です。

この場合は、先ほどの「事前の雇用契約等から算定される本来適用すべき賃率」ではなく、本来ならば支給されなければならない残業手当の計算に用いる基礎賃金から残業手当などを計算します。

しかも、本来支払われなければならない額であるため、有利差異や不利差異というお話ではなく、労務費が単純に増加することになります。

もっとも、消滅時効2年で消滅する債務となるため、それを「営業外収益」として観念するか「売上原価項目」「販売費一般管理費項目」のマイナスとして処理するかという議論になると思われます。

( つづく )