なぜ非上場株式の売買価格を税法ルールによる価額と考えてしまうのか

非上場株式の売買価格の決定については、上場株式の場合と異なり市場がないため適切な時価を算定することは容易ではありません。

時価の算定方法もさまざまであることに加え、当事者間の情報格差や専門性の格差によって売買価格の形成に有利不利が生じてしまいます。

そこで、理論的な価額とは乖離があるとしても、相対的に客観性が担保されている税法ルールによって算定された価額が利用されやすいのです。

税法のルールによる価額が売買価格だと考えてしまう理由

客観的な交換価値

本来、株式はじめ財の売買価格は、需要曲線と供給曲線の交わるところで決まるところで決定されるものです。これにふさわしいのが市場でして、「市場」であるがゆえに当事者の「私情」が介入できない客観的な価格が形成されます。まさに、判例等でいうところの「客観的な交換価値」となります。

ところが、上場していない株式の場合には、需要曲線も供給曲線もあったものではありません。そうしますと、売手と買手の交渉で売買価格は決まることになります。ところが、この売手と買手の交渉では、双方または一方の主観的事情が不可避的に反映されます。

画一的なルールの必要性・・・徴税の立場から

ここで、国家の立場に立ちますと、財産の移転により所得を得た者に対しては適正に課税することが、課税の公平や納税者の平等に資することになります。

いっぽうで、課税当局の担当者が、個々の取引ごとに、課税上いくらが妥当な価格なのかを当局が逐一算定することは時間もコストもエネルギーもかかります。

そこで、画一的なルールを定めて、これに従って課税上いくらが妥当なのかの価額(つまり税務上の時価)を定め、これと当事者の実際の売買価格とを比べて課税処分を行うことが効率的です。

画一的なルールの必要性・・・当事者の立場から

株式の価値を純理論的に算定しようとすると、そのアプローチも異なり、しかも、それぞれのアプローチでの算定方法や算定過程での個別的な判断も異なることから、さまざまな算定結果が考えられます。どれが妥当なのか、どれを選択するかということは、当事者にとって負担となります。

しかも、当事者間の交渉は、どうしても価格決定のための専門的知識、基礎となる情報量、当事者間の力関係などによってどちらかに有利な価格が形成されやすくなります。

そこで、画一的なルールによって算定された価値が交渉のスタートまたはゴールとして有効となります。

税法のルールによって算定された価額

税法のルールは、課税の公平を実現するため画一的な方法によっています。それゆえに、税法のルールから導かれた価額が、純理論的な価額とは異なるのはある意味当然です。出発点(目的)が異なりますから。

画一的なルールであるがゆえ、個別的な特殊事情はなかなか反映されないものの、客観性・中立性の点で優れているため、利害が鋭く対立する関係者間の交渉では有用なものとなります。また、当事者間の情報量などの格差を埋める役割も果たしていると考えられます。

また、当事者間の交渉中の価額と、税法のルールによって計算した価額との乖離によってどの程度の税務上のリスクが生じるのかをあらかじめ知ることができる点でも好都合です。

加えて、当事者間で決定した価格について後日課税のトラブルが生じるリスクは避けたいとなると、税法のルールで算定された価額をもって売買価格としたほうが無難ということになります。

このような事情から、非上場株式の売買価格が「税法のルールで算定された評価額」と考えるのはある意味自然なことと思われます。

これがどんどん進化(?)してしまい、最初から「税法で定められたルールで売買しなければならない」かのような先入観になっていると思われます。

実際に不服審判や裁判でも、納税者から「税法のルールで価格が決まるとすると、私人間の取引がこれに拘束されてしまうため資本主義社会は成り立たなくなる」という主張があります。この主張は、まさにこの先入観から来ているものと思われます。

再び「客観的交換価値」

本来、株式の適正な時価とは「客観的な交換価値」です。 上場株式の場合は、市場により大量かつ継続的に取引が行われ、その価額の決定に当事者の主観的事情は反映されないことから、市場で形成された価額は客観的交換価値とされます。

いっぽう、非上場株式の場合には、市場がないため売手と買手の交渉で売買価格は決まることになります。ところが、この売手と買手の交渉では、交渉によって形成される価額は、当事者の双方または一方の主観的事情が介入されやすくなります。

そこで、税務上は、客観的・画一的なルールによって算定された株式の価額が、少なくとも課税当局との関係では客観的交換価値として認容されるのです。

ということは、売手と買手の交渉で決定された売買価格に各当事者の主観的事情が一切考慮されないのであれば、この売買価格は「客観的な交換価値」ということになります。

つまり、売手と買手との間で決まった売買価格が、税法のルールによって算定された税務上の時価と異なっていても、課税上の弊害がないかぎり、税務上も認められるとされます。

たとえば、まったく利害が対立する関係にある当事者間で定まった合併比率や、裁判所が決定した価格などです。解説本などでは「独立した第三者間」や「純然たる第三者間」などという表現があります(もっとも、当事者がこのような関係だからといって主観的事情が一切考慮されないわけではありません)。

税法ルールとの付き合い方

税務当局も裁判所も、売買価格を税務上の時価で行えとはまったくコメントしていません。

国家は私人間の取引価格を拘束しているわけではなく、その取引が税法という特殊なフィルターにかけると税金がかかるということにとどまり、取引価額そのものを修正せよとは要求していないのです。

課税が発生するかどうかを判断するための画一的な尺度が税務上の時価であり、この尺度によって課税処分をすることと、当事者がこの尺度で売買しなければならないということはまったく別なのです。

課税の問題が生じる場合には、正規の納期限までに税金を払えば国家との関係では問題ないわけです。税法のルールで算定された価額に当事者が拘束される必要性はないと思われます。

当事者間の交渉で取引価額の決定プロセスに税法ルールを持ち込んでおきながら、「この売買価格で課税されるのはおかしい」 と税法ルールの妥当性について批判するのは不毛といってもよく、むしろ、画一的なルールを形式的にあてはめて課税処分をすると当事者に不公平な税負担が生じてしまうことを証明することにエネルギーを注ぐべきと思われます。

税法ルールと詭弁

税法ルールの時価は、課税処分のための画一的に算定されるため、対象となる会社の資産内容や将来収益等から算定された純理論的な価値とは一致しません。しかし、客観性・中立性の点では優れているため、一定の説得力を持ち、広く活用することができます。

たとえば、「税務上ならあなたはこの額で取得しないと課税されるわけだから、最低この価格でないと売らない」と主張もできるのです。もっとも、相手は「国に税金を払ってでもあんたにカネは払いたくない」こともできるため、しょせんは詭弁です。

似たような詭弁として、本来ならば自由に決められる役員報酬や役員退職金について、「不相当に高額な額の損金不算入」の規定を説いて、役員報酬や役員退職金そのものを減額させることがあります。

(おわり)