( 1 )なぜ相続税本位の遺産分割になってしまうのか

相続や遺贈によって被相続人から財産を取得した者は、たとえ遺産分割が終わっていなくても、相続税の申告期限(被相続人の死亡の日から10ヶ月)までに相続税の申告と税額の納付をしなければなりません。とくに、配偶者の税額軽減の特例や小規模宅地等の特例は申告期限までに分割が行われないと原則として適用を受けられません。

このため、遺産分割は相続税の申告に強い影響を受け、相続税が課される財産について相続税のルールによる価額の算定結果に基づいて遺産分割を行うという、相続税本位の遺産分割が行われていることが少なくありません。

しかし、民法の相続財産(の価額)および法定相続分と、相続税が課される財産(の価額)には違いがあります。

「遺産分割」と「相続税の申告(相続税額の負担)」は別物という発想が必要です。

なぜ、相続税本位となってしまうのか

その大きな理由のひとつは、相続税の申告と納付にあります。

相続や遺贈によって被相続人から財産を取得した者は、相続税の申告期限(相続の開始を知った日から10ヶ月、すなわち、被相続人の死亡の日から10ヶ月)までに相続税の申告と税額の納付をしなければなりません。

この相続税の申告は、遺産分割協議が終わっていなくても、遺言の有効性などで争いをしていたとしても、行わなければなりません。

このような場合には、相続財産は各共同相続人の共有となることから(民法898条)、法定相続人が法定相続分で相続したとして各相続人は(暫定的に)相続税の額を負担することになります。

その後、遺産を誰が承継取得するかが確定した場合、原則としてあらためて相続税の申告を行います。

相続税の計算プロセス

ここで、相続税の計算プロセスについて確認しておきましょう。

  • 各相続人が取得した財産のうち、相続税が課税される財産の価額(課税金額)を算定し合計します。課税金額が基礎控除額(3,000万円+600万円×法定相続人の数)を上回ると相続税が課されます。
  • これらの財産を(実際の遺産分割や遺言とは異なり)法定相続人の法定相続分によって分割したものと仮定して各法定相続人の相続税額をいったん算定します。
  • いったん算定された各法定相続人の相続税額を合計することで相続税の総額が算出されます。
  • 相続税の総額を、実際の遺産分割や遺言によって各相続人等が取得した課税金額の比率で配分して各相続人が負担する額が決まります。
  • 各相続人について軽減や加算を行い、納付すべき相続税額が確定します。

相続開始後10ヶ月以内に承継取得が確定した場合の特例

相続税本位の遺産分割が行われる大きな理由、それは相続税の申告と納付にあります。

とりわけ、遺産分割が行われていない未分割の財産については「配偶者の相続税額軽減の特例」「小規模宅地等の特例」や農地等や非上場株式等についての納税猶予といった納税額が減少あるいは猶予される特例を原則として受けることができません。

  • 配偶者に対する相続税額の軽減(相続税法19条の2)
  • 小規模宅地等についての相続税の課税価格の計算の特例(租税特別措置法69条の4)
  • 農地等についての相続税の納税猶予及び免除等(租税特別措置法70条の6)
  • 山林についての相続税の納税猶予及び免除(租税特別措置法70条の6の6)
  • 特定の美術品についての相続税の納税猶予及び免除(租税特別措置法70条の6の7)
  • 個人の事業用資産についての相続税の納税猶予及び免除(租税特別措置法70条の6の10)
  • 非上場株式等についての相続税の納税猶予及び免除(租税特別措置法70条の6の10)
  • 医療法人の持分についての相続税の納税猶予及び免除(租税特別措置法70条の6の12)

とくにポピュラーなものだけざっくりご説明します。

「配偶者に対する相続税額の軽減」とは、相続税の申告において、配偶者が取得した財産について最大1億6千万円分に係る税額が軽減されるというものです。

「小規模宅地等についての相続税の課税価格の計算の特例」、いわゆる「小規模宅地等の特例」とは、一定の要件を満たせば、相続等によって取得した土地等のうち一定の面積部分について価額が50%または80%減額されるというものです。この特例の適用によって相続税がかからないことも少なくありません。ただし、特例の適用により相続税がゼロとなる場合でも、期限内に相続税の申告をすることが必要です。「確実に特例の適用が受けられるから相続税はゼロなので相続税の申告は必要ない」というのは極めて初歩的で致命的なミスです。

もし、相続開始後10ヶ月以内に遺産分割されていない場合には、原則としてこれらの特例の適用は受けることができません。

遺産分割協議が終わらなくても相続税の申告と納税はしなければなりません。この場合の納税額は、これらの特例の適用が受けられないものとして計算されます。 すなわち、分割されていない財産については、法定相続分で分割されたものとして相続税額の総額が計算され、法定相続分に基づいて各相続人が負担することになります。

これらの特例の存在が、「10ヶ月以内に遺産分割を終わらせないといけない」という動機付けになりますし、また、遺産分割協議をリードしたい相続人(とその関係者)にとっては他の相続人等を説得するための格好の材料となります。

このため、相続税の負担に引っ張られ、また、財産の価額の算定などがよくわからないということもあり、あまり知識のない相続人等は、「ふーん、相続税の負担が少なければいいよね」とつい納得し、遺産分割協議書に実印を押してしまうのです。

相続税の申告書の遺産と民法上の相続財産との違い

このような事情から、相続税本位の遺産分割が行われるのが一般的といえます。

しかし、相続税の申告における被相続人の遺産は、文字通り相続税の税額を算定するための、相続税が課される財産であり、一方、民法上の相続財産とは相続分を計算するための財産です。

次回以降詳しくご説明しますが、顕著な違いは次のとおりです。

財産の範囲の違い(相続税法上のみなし相続財産)

相続税の申告では、被相続人の死亡によってに支払われる生命保険金(死亡保険金)は、相続税が課税される財産となります。

ただし、「500万円×法定相続人の数」の金額までは非課税となるため、これを超える金額について相続税が課税されます。

ところで、死亡保険金は、被相続人が生前に保険契約上で受取人(相続人その他)を指定しているため、受取人は被相続人の死亡によって当然に保険金を受け取ります。

つまり、民法上は、相続開始後に誰が取得するかといった分割協議の対象とはならないため相続財産とはなりません。

そのため、相続税法上では、死亡保険金は相続等によって取得したとみなして相続税を課税するというロジックとなります(みなし相続財産)。

このようなみなし相続財産としては、死亡退職金のほかに被相続人の死亡によって勤務先等から支払いを受ける(死亡)退職金があります。

よって、相続税の申告をベースにして、みなし相続財産も加えられた相続税が課される財産の価額をベースにして相続分を議論し遺産分割を行うのは正確ではありません。

財産の範囲の違い(生前贈与)

相続税の申告では、被相続人が相続開始直前に保有していた財産のみならず、相続開始前3年間に生前贈与された財産が加算されます。相続時精算課税制度を選択した相続人の場合は、相続時精算課税制度を利用している場合には、原則として相続時精算課税制度の利用した年分以降に生前贈与された財産がすべて加算されます。

民法においても、相続分を算定する前提となる相続財産は、被相続人が相続開始時に有していた財産に、特別受益を加えた額となります(民法903条1項)。特別受益とは、遺贈、または、被相続人の生前に行われた「婚姻もしくは養子縁組のための贈与」または「生計の資本としての贈与」をいいます。

ここで、民法上の相続財産とみなされる生前贈与の額は、過去の制限がありません。つまり、数十年前の生前贈与も特別受益として相続財産として算入しうることになります(ちなみに、遺留分については改正民法で10年前に制限されました)。

また、生前贈与の額の評価(時価)についても、相続税法と民法とでは違いがあります(下記参照)。

よって、相続税の申告をベースにして、相続税が課される生前贈与の額のみをベースにして相続分を議論し遺産分割を行うのは正確ではありません。

財産の評価の違い

相続税の申告では、相続税が課税される財産の価額(時価)の算定は、税法のルール(具体的には財産評価基本通達)によって行います。そして、評価のタイミングは、相続開始直前となります。ただし、加算される生前贈与の財産の評価は贈与時の時価となります。

民法の相続分を定める財産の価額(時価)の算定は、必ずしも税法のルールに拘束されません。とりわけ不動産の時価において顕著となります。そして、評価のタイミングは、遺産分割時の時価となります。なお、特別受益として加算される生前贈与の価額(持戻し価額)の評価については、相続開始時の時価となります。

よって、相続税の申告をベースにして、税法のルールで計算された価額をベースにして相続分を議論し遺産分割を行うのは正確ではありません。

10ヶ月後に遺産分割しても認められる特例

先ほど申し上げた特例の適用を受けるためには、相続税の申告期限(相続の開始を知った日の翌日から10ヶ月目の日、通常は被相続人の死亡の日から10ヶ月後)までに、遺産分割によって財産の取得者を確定しなければなりません。

いっぽう、遺産分割が終了していなくても、相続税の申告は期限内にしなければなりません。この場合、分割されていない財産は、すなわち、分割されていない財産については、法定相続分で分割されたものとして相続税額の総額が計算され、法定相続分に基づいて各相続人が負担することになります。

しかし、「配偶者の税額軽減の特例」「小規模宅地等の特例」については、相続税の申告書に「申告期限後3年以内の分割見込書」を添付して提出して、申告期限(相続の開始があったことを知った日の翌日から10ヶ月目の日)から3年以内に分割が行われれば、特例の適用を受けることができます(相続税法19条の2第2項ただし書、租税特別措置法69条の4第4項ただし書)。

特例の適用が受けられると当初の申告の納税額が過大となるため、税金の還付を受けることになります。この手続(更正の請求)は遺産分割が行われた日の翌日から4ヶ月以内にする必要があります(相続税法38条1項、租税特別措置法69条の4第4項かっこ書)。

また、相続税の申告期限の翌日から3年を経過する日において相続等に関する訴えが提起されているなど一定のやむを得ない事情がある場合には、申告期限後3年を経過する日の翌日から2ヶ月を経過する日までに「遺産が未分割であることについてやむを得ない事由がある旨の承認申請書」を提出し、その申請につき所轄税務署長の承認を受けた場合には、特例の適用の可能性が維持されることになります)。

その後、判決の確定の日など一定の日の翌日から4ヶ月以内に分割されたときに、これらの特例の適用を受けることができます。この場合も、遺産分割が行われた日の翌日から4ヶ月以内に更正の請求を行って税金の還付を受けることになります。

なお、農地等についての相続税の納税猶予及び免除等、山林についての相続税の納税猶予及び免除、特定の美術品についての相続税の納税猶予及び免除、個人の事業用資産についての相続税の納税猶予及び免除、非上場株式等についての相続税の納税猶予及び免除、医療法人の持分についての相続税の納税猶予及び免除については、当初申告の期限内に分割をしていないと適用を受けられません。

まとめ

実務上は相続税の負担に重きをおいた遺産分割が行われ、それで関係者全員が納得することが少なくありません。

相続税の申告、特に各特例が申告期限内の分割を要件としているため、遺産分割協議をリードしたい相続人(とその関係者)にとっては他の相続人等を説得するための格好の材料となります。

このため、相続税の負担に引っ張られ、また、財産の価額の算定などがよくわからないということもあり、あまり知識のない相続人等は、遺産分割協議書に実印を押してしまうのです。

しかし、民法の相続分、そしてそれを算定する前提となる相続財産の額と、相続税の申告での相続税が課される財産の額は異なります。前者には含まれないものや、前者だけに含まれるものがありますし、算定される時価も異なります。

税理士などの専門家から相続税のシミュレーションを見せられて遺産分割を決めてしまい、分割協議書に実印を押してしまう実例はおびただしいほど多いと思われますが、民法上の遺産分割と相続税の申告は別物という発想が大切です

「正しい税金の計算ができた」と「それなりに納得できる遺産分割ができた」は異なります。

なかなか実印を押してもらえないことも多々ありますが(葬儀の段取りの相談がなかったという理由だけで一切遺産分割に応じないなど感情的な問題もあります)、いったん実印を押してしまってからこれを覆すのは通常の場合相当困難です。

相続税の各特例についても、申告期限内に分割したほうがいい財産については分割し、残余は申告期限後にじっくり検討するのもひとつの方法です。

ただ、当初の申告(相続開始後10ヶ月後までに行う申告)で特例の適用がない場合の(大きな)税負担をするだけの資力がないことを見透かされていると、やはりうまくいかないこともあります。

また、更正の請求によって税金を還付してもらう場合には、税務調査が行われる可能性が高まるため、税務調査を避けたいという意志も働くものです。

( つづく )