( 4 )相続税本位の遺産分割を排す

遺産分割協議をリードしたい相続人にとって、相続税の申告書(案)に記載された相続税の課税価格は非常に説得力のあるものです。

相続税の課税価格をベースにして民法の相続分を算定することが全面的に間違いではありません。それは、遺産分割が民法の法定相続分どおりでなければならないわけではないのと同じです。

各相続人が同意して遺産分割協議書に実印を押せばそれはそれで有効なのです。

ただし、各相続人が同意をする根拠が、相続税の申告書(案)に記載された相続税の課税価格であった場合、相続税の課税金額には相続税特有のもの(財産の範囲や財産の評価など)があります。

ここではその違いを明らかにすることで、実印を押す前に検討すべき点を明らかにします。

相続税本位の遺産分割とは

税理士が相続税計算ソフトなどを用いて、相続財産を誰が取得すると相続税がどう変化するかのシミュレーションを何パターンも作って説明し、それをベースにして相続人が遺産分割協議書に実印を押して相続税の申告を行うというのはよくあることです。

相続税の申告が適切に行われているかぎり何の問題もないように思われます。税理士の適切なアドバイスで相続税の税額を減らすことができたらまことに結構なことです。

しかし、そのシミュレーションが、各相続人の法定相続分を意識して相続財産を誰が取得するかを決めていた、すなわち、もっぱら相続税のかかる財産の価額(相続税の課税金額)をベースにした法定相続分で各相続人の取得する遺産を決めていたとすると、税金の計算は正しくても、各相続人にとって公平だったのかどうかは疑問が生じます。

そこで、相続税の申告書(案)での相続税の課税金額をベースにして各相続人の取得する遺産を決めるとどういうことになるのかを検討します。

民法の相続分

相続分とは、各相続人が相続により取得できる割合をいいます。

被相続人の遺産を各相続人に分ける前提となる財産の価額は、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額ですが、さらに、相続人の中に遺贈によって財産を取得した者、または、生前に「婚姻もしくは養子縁組のための贈与」または「生計の資本としての贈与」を受けた者がいる場合には、これらを加えた価額をもって相続分を計算します。

この「婚姻もしくは養子縁組のための贈与」「生計の資本としての贈与」は特別受益と言われるもので、各相続人の相続分を計算するにあたっては、被相続人の相続開始時の財産に加算したところで法定相続分を乗じ(持戻し計算)、特別受益を得た相続人はその特別受益を差し引いた額をもって相続分とします。

つまり、特別受益を得ていなかった相続人は遺産分割で受け取りうる金額が増加し、特別受益を得ていた相続人は減少することになります。

極めて重要なのは、この特別受益の生前贈与については民法上期間制限はなく、どんなに過去の贈与であっても(被相続人の意思表示がないかぎり)持戻しの対象となります。ただし、婚姻期間20年以上の配偶者に対する不動産の贈与については、贈与者(被相続人)の持戻しの対象にするとの意思表示がないかぎり持戻しの対象とはなりません。

また、持戻しされる財産の評価時点は、贈与時の価額ではなく、相続の開始した時の価額とされています。

対象となる財産の範囲

この論点は、相続税法が課税される財産と民法の相続分について、その対象となる財産にどう差異があるのかというものです。

相続税法特有のみなし相続財産や生前贈与された財産

相続税の申告は、被相続人から相続または遺贈によって財産を取得した人です。

この相続または遺贈によって取得した財産には、相続開始時に被相続人が有していた財産(本来の相続財産)のみならず、相続税法特有の財産、すなわち、相続または遺贈によって取得したとみなされる財産(みなし相続財産)が含まれます。

このため、相続または遺贈によっては本来の相続財産は取得していなくても、みなし相続財産を取得した人は相続税の申告をする必要があります。

  • 生命保険金、偶然な自己に起因する死亡に伴う損害保険金(相続税法3条1項1号)
  • 退職手当金(同法3条1項2号)
  • 生命保険契約に関する権利(同法3条1項3号)
  • 定期金に関する権利(同法3条1項4号)、保証期間付定期金に関する権利(同法3条1項5号)、契約に基づかない定期金に関する権利(同法3条1項6号)
  • 特別縁故者に対する相続財産の分与(同法4条)
  • 遺言により著しく低い対価の額での財産を譲り受け(同法7条)
  • 遺言により対価の支払なくして、または、著しく低い対価の額での債務の免除等(同法8条)
  • 遺言等により委託者以外の者が受ける信託に関する権利(同法9条の2~9条の6)
  • 特別の法人から受ける利益(同法65条の1)

まず、みなし相続財産として典型的なものは、死亡保険金です。死亡保険金は、もともと契約者である被相続人が生前に受取人を指定していたものであり、遺産分割の対象となるものではありません。ただし、相続税法では、相続または遺贈によって取得したものとみなして相続税の課税金額に算入することになっています(もっとも、500万円×法定相続人の数の非課税部分があるため、これを超える金額が相続税の課税金額となります。)。

死亡退職金についても、支給先との契約などであらかじめ受け取る相続人が定まってる場合には、支給先からその者へ直接支払いが行われるため遺産分割の対象とはなりません(単純に「法定相続人」となっていた場合は、退職金受給権として遺産分割の対象となりえます。)。しかし、相続税法では、相続または遺贈によって取得したものとみなして相続税の課税金額に算入することになっています(もっとも、500万円×法定相続人の数の非課税部分があるため、これを超える金額が相続税の課税金額となります。)。

また、みなし相続財産には、すでに生前贈与が行われて贈与税の納税猶予を受けている財産について、相続税の申告では相続または遺贈によって取得したものとみなされるものも含まれます。

  • 贈与税の納税猶予の適用を受けている農地等
  • 贈与税の納税猶予の適用を受けている個人の事業用資産
  • 贈与税の納税猶予の適用を受けている非上場株式等

さらに、相続開始時に被相続人が有していた財産でも、みなし相続財産でもなくても、次の財産を相続税の課税金額に加算します。

  • 贈与税の申告が暦年課税の場合の相続開始前3年以内の贈与(相続税法19条1項)
  • 贈与税の申告が相続時精算課税の場合の相続時精算課税制度適用年分以後の贈与(同法21条の15第1項)

暦年課税の場合、相続開始の年に贈与を受けた財産は贈与税の対象ではなく相続税の課税金額に加算されるため、その年の贈与税の課税金額に算入されません(相続税法21条の2第4項)。

いっぽう、相続または遺贈では財産(みなし相続財産も含みます。)を取得していない者が受けた生前贈与の額については、加算されません。なぜなら、相続税は相続または遺贈によって財産(みなし相続財産も含みます。)を取得した人にかかる税金だからです。この場合には、相続開始の年に被相続人が死亡する前の生前贈与については贈与税の申告をすることになります。

なお、相続時精算課税の適用を受けている相続人のうち、相続または遺贈では財産を取得していない者については、相続税の申告において、相続時精算課税の対象となった贈与財産は、相続または遺贈で財産を取得したものとみなされて(みなし相続財産)相続税の課税金額に算入されるというロジックになります(相続税法21条の6第1項)。

民法上の相続分との違い

民法上の相続分にせよ相続税の計算にせよ、被相続人が相続開始の時に有していた財産が対象になる点では同じです(財産の価値をどう評価するかについてはまた別の問題で後述します。)。

大きく異なるのが、相続税法特有の「みなし相続財産」です。民法の相続分を算定する場合には除外すべきものと考えられます。

さて、相続開始前3年以内の贈与(暦年課税)、相続時精算課税制度適用年分以後の贈与(相続時精算課税)については検討を要します。

民法上の相続分も特別受益となる生前贈与(「結婚もしくは養子縁組のための贈与」「生計の資本としての贈与」)については加算の対象となります。しかし、民法の相続分の算定では、生前贈与に期間の制限がありません。よって、民法の相続分の算定での特別受益となる生前贈与のほうが、相続税の申告で課税金額に算入される贈与財産よりも広いといえます。

いっぽう、相続税の申告で加算される生前贈与は、贈与税が課税される贈与であり、いわゆる「みなし贈与財産」も含まれています。これは贈与税特有の概念であるため、民法の相続分を算定する場合には除外すべきものと考えられます。

対象となる財産の評価

この論点は、対象となる財産について、これを金額として評価する場合にはどうすればよいかというものです。

さて、相続税の申告においては、相続税が課税される財産を評価する必要がありますが、それは相続開始時の時価によります。時価の算定は、原則として財産評価基本通達の定める方法で行います。

小規模宅地等の特例

小規模宅地等の特例、すなわち、小規模宅地等についての相続税の課税価格の計算の特例(租税特別措置法69条の4)は、被相続人の居住の用または事業の用に供されていた宅地等について、一定の要件を満たす場合には、その土地等の相続税の課税金額のうち一定の面積に相当する部分が50%から80%減額されます(租税特別措置法69条の4)。なお、小規模宅地等の特例が一般的ですが、特定計画山林についても同様の特例があります(小規模宅地等の特例との選択適用。同法69条の5)。

よって、相続税の課税金額となるのは減額された後の金額となります。

なお、小規模宅地等の特例が一般的ですが、特定計画山林についても同様の特例があります(同法69条の5)。ただし、小規模宅地等の特例との選択適用となります。

生前贈与の財産

先ほど述べたように、生前贈与の財産のうち一定のものについては、相続税の課税金額に算入されます。

ポイントは、相続税の課税金額に算入される時価、すなわち、相続の開始時点の時価、それとも贈与時の時価のどちらになるのかです。

相続税法では、贈与時の時価となります。

特定贈与財産

婚姻期間20年以上の配偶者から居住用不動産またはその取得資金の贈与を受けた場合は、贈与税の課税金額から2,000万円までを控除できます(配偶者控除、相続税法21条の6)。そして、2,000万円を超えた金額について贈与税が課されます(その年中にほかに贈与を受けていなかった場合は基礎控除110万円を含めた2,110万円を超えた分について贈与税が課されます。)。

さて、贈与から3年以内に贈与者が死亡した場合、贈与を受けた配偶者(相続人)は、相続税の申告において、相続の開始前3年以内に贈与を受けた財産として相続税の課税金額に算入しなければなりませんが、2,000万円(特定贈与資産)は算入されず、2,000万円を超えた部分が相続税の課税金額に算入されます。なお、贈与時に2,000万円(2,110万円)を超えた部分については贈与税が課されていますが、その贈与税はその相続人の相続税から控除されます(贈与税額控除)。

非課税財産

被相続人からの生前贈与について、直系尊属から住宅取得等資金の贈与を受けた場合の贈与税の非課税(租税特別措置法70条の2)、直系尊属から教育資金の一括贈与を受けた場合の贈与税の非課税(租税特別措置法70条の2の2)、直系尊属から結婚・子育て資金の一括贈与を受けた場合の贈与税の非課税(租税特別措置法70条の2の3)の適用を受けて、贈与税の申告で非課税となった金額は、相続税の課税金額に算入されません。

納税猶予

贈与税の納税猶予の適用の特例を受けている農地等、個人の事業用資産、非上場株式等についても、その後継者が相続または遺贈により取得した財産とみなされて(みなし相続財産)相続税が課税されますが、この場合の財産の評価は、贈与時の時価となります。

民法上の相続分との違い

根本的な違いは、時価の算定方法と、時価の評価時点です。

まず、相続税の申告での財産の評価は「税金を計算するための評価」であり、民法の相続分の算定にあたっては、必ずしもこれに拘束されません。

このため、小規模宅地等の特例を受けた宅地等の減額部分、特定贈与財産(2,000万円)、不動産等取得資金や教育資金や結婚・子育て資金について贈与税の非課税の特例があった場合の非課税金額などは、少なくとも民法の相続分の計算では無関係の部分となりますから、これらはなかったものとして計算すべきことになります。

しかも、相続税の申告においては、財産の時価の算定は、原則として財産評価基本通達の定める方法で行います。とりわけ土地等の評価については、相続税法での評価は路線価方式または倍率方式により行いますが、民法の相続分の算定では、収益還元方式などのより実際の取引価値に近い方法によって評価することもできます。

よって、このような状態で相続税のかかる財産の価額(相続税の課税金額)をベースにした法定相続分で各相続人の取得する遺産を決めると、税金の計算は正しくても、民法の相続分とは相当な乖離が生じることになります。

ところで、時価をあらためて算定するのに時間と費用を要する場合には、路線価は実際の時価のおおむね80%で設定されていることから、路線価を80%で除した額をもって時価とするという簡便的な方法もあります。算定方法の適否を巡って争いになるのを避ける方便のひとつといえるかもしれません。

次に、財産その評価についても、相続税の申告では「贈与時の時価」で行いますが、民法の相続分の計算では「相続時の時価」で行い、しかも税法のルールに拘束されません。

とりわけ顕著なのが、生前贈与した不動産です。

生前贈与した不動産については、民法では基本的に「生計の資本としての贈与」に該当するため、相続分を計算するにあたって持戻し計算が行われます。

しかも、持戻し計算での不動産の時価は贈与時ではなく相続開始の時となります。

このため、不動産の時価が贈与時よりも大きく上昇していると受贈者(相続人)の相続分は極めて小さくなります。

いっぽう、相続税の申告では、相続時精算課税でない贈与については相続前3年を超えた贈与については相続税の課税金額に算入しません。

よって、このため、相続税のかかる財産の価額(相続税の課税金額)をベースにした法定相続分で各相続人の取得する遺産を決めると、税金の計算は正しくても、民法の相続分とは相当な乖離が生じることになります。

(補足)婚姻期間20年以上の配偶者に対して行った居住不動産の生前贈与

ここで、婚姻期間20年以上の配偶者に対して行った居住不動産の生前贈与についておさらいします。

相続税において、婚姻期間20年以上の配偶者に対して行った居住不動産またはその取得資金の贈与に係る贈与税の配偶者控除の適用を受けた贈与金額については、贈与から3年以上経過した場合は相続税の課税金額に算入されず、3年以内で相続税の課税金額に算入されたとしても、贈与時の金額で、かつ、配偶者控除された額(特定贈与財産、最大2,000万円)を控除された額が相続税の課税金額となります。

ちなみに、この贈与は配偶者に対する贈与なので当然に暦年課税の贈与となります。相続時精算課税は直系卑属(子や孫など)に対する贈与に適用されるからです。

民法では、相続関係の改正法施行日である令和元(2019)年7月1日前に行われた婚姻期間20年以上の配偶者に対して行った居住不動産の贈与については、贈与者(被相続人)が特別受益として持戻しを免除するという意思表示がなかった場合には、特別受益として相続分の計算に持戻しが行われます。しかも、持戻し計算の際の不動産の時価は贈与時ではなく相続開始の時の時価となります。

いっぽう、令和元(2019)年7月1日以後の贈与については、贈与者(被相続人)が特別受益として持戻しを免除しないという意思表示がなかった場合には、特別受益として相続分の計算に持戻しは行われません。

このため、令和元(2019)7月1日以後で、贈与者(被相続人)から持戻しせよとの意思表示がなかった場合は、さらに3年以上経過して相続が開始した場合は、民法の相続分の計算でも相続税の申告でもほぼ同じとなります。

ただし、贈与税の配偶者控除は、不動産の贈与ではなく不動産を取得する資金の贈与も対象としていますが、これは民法では射程に入っていないため、持戻しの対象となります。

まとめ

この、民法と相続税法の違いは、いわゆる財務会計と税務会計の違いと同じものがあります。

学者や学生のなかには、税務会計の問題点などを研究したりしますが、そもそも会計と税務では目的が違うため、違って当たり前なのです。

民法と相続税法もまた違うのです。

相続人のなかには、自分が取得する財産を増やしたいと思って権利を主張する人もいるでしょうし、争いを避けたいからそれを控える人もいるでしょう。また、自分の取得する財産を増やそうという意図はまったくないけれど、実際のところはどうなのかを知りたいだけという人もいるでしょう。もちろん、それぞれの相続人にバック(配偶者やその親族、専門家など)がいるでしょう。

遺産分割協議をリードしたい相続人にとって、相続税の申告書(案)に記載された相続税の課税価格は非常に説得力のあるものです。

相続税の課税価格をベースにして民法の相続分を算定することが全面的に間違いではありません。それは、遺産分割が民法の法定相続分どおりでなければならないわけではないのと同じです。

各相続人が同意して遺産分割協議書に実印を押せばそれはそれで有効なのです。

しかし、各相続人が同意をする根拠が、相続税の申告書(案)に記載された相続税の課税価格に全面的に依拠したものである場合には、相続税特有のもの(財産の範囲や財産の評価など)があるだけに、ここではその違いを明らかにすることで、実印を押す前に検討すべき論点を示したしだいです。

( つづく )